Tuesday, April 24, 2012

日本語に  "I" はない

日本語には、英語でいうところの、普遍的な "I" は存在しない。
『私』にも『僕』にも『おいら』にも『うち』にもニュアンスがあり、所属がある。

『私』と称することで大人の女性を引き受けることが、若い『僕』にはできなかった。僕が抵抗しようとしたのは、思春期における『私』という一人称がもつ『大人になる』という意味あいだったのか、それとも『女性になる』という意味合いだったのか、僕自身にも分からない。おそらく、その両方だったのだろう。でもどちらにしても、『僕』は『私』になれなかった。

かといって、『僕』として堂々と生きていけるほど僕は強くもなく、それでも精神的な『安定感』やbelongingを得られるほど、僕は『僕』ではなかった。

日本語は、ある程度主語を省いても文章が成り立つ言語だけれど、だからといって、いつも主語が必要ない筈もなく、"I" と主張をしなくてはいけない場面で、言葉につまり、自信を失う。まるで、その後に続く言葉全てに自信がないかのように。

でもよくよく考えれば、発話者としての立場をはっきり持てない状態で、そんな気持ちのままで、どれほどはっきりした発言ができるというのか。

僕は英語で話すとき、少し人格が変わったような、自分がはっきりしたような感覚を覚える。それは、英語の "I"がもつパワーによるものなのか、それとも、英語と僕の間にある浅い関係性が、無責任に強い言葉を発することを可能にしているだけなのか。

No comments:

Post a Comment