Tuesday, April 24, 2012

英語で文を書くということ

一つの言葉を発するとき、そこにはその言葉を使い、その言葉を聞き、その言葉から感じてきた歴史も同時にそこに現れてくる。だから言葉は人を感動させもするし、傷つけもする。

私の母語は日本語。多感な子供時代と思春期を、ずっと日本語を使って、日本語で感じて生きてきた。アメリカに渡ったのは18歳の時、それ以来私の中で、その日本語の歴史の「積み上げ」が止まってしまっているように感じる。

反対に、私の英語の歴史は18歳の時から始まった。でも、いくらボキャブラリーが増えたって、日本語と同じような感情豊な「言葉の歴史」が積み上がってきていない。それがネイティブとの違いなのかもしれない。

どれだけ英語が流暢になろうとも、私の書く一語一語に重みが感じられない。感情がうまく付与されていかない。愛情を熱意をもって始めたはずのライティングなのに、気持ちが置き去りにされていく。英語で文章を書くと、そこからするりと、私の魂が抜け出していく。

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