Tuesday, April 24, 2012

biopoliticsもcapitalism+neoliberarlism+neocolonialismにはお手上げ?

フーコーの理論として有名な、人口や平均寿命、健康といった科学的概念を用い、国民を生産的に「生かす」ポリティクス, その名もbiopolitics。

体育、保健の授業等を見ていると、確かに近代国家はずいぶんと国民の『健康」あるいは「再生産(人口増加)」に執着しているなーというのは実感できると思うのだが、そんな強力なbiopoliticsが、ネオリベとネオコロと、ようするに目先の経済的利益と物質的豊かさを追求する考え方によって断末魔の叫びをあげている。

以前は、アメリカの医療保険や学生ローン、住宅ローン、ファストフードの反乱、混乱ぶりを見ていて、あー、biopoliticsと言っても、しょせん人間の目先の利益と金儲けへの欲には勝てないのね、なんて、あんまり学問的でない?見方をしていた。

でも2011年の福島での原発大爆発以降、日本でもその様子が顕著に見られるようになってきた。そう、原発事故のデータの隠蔽と、がれきの広域処理、食品検査の不足(そして汚染度の深刻さの隠蔽、ごまかし)による全国的汚染拡大と、さらには人々の避難が遅々として進んでいないこと(むしろ戻そうとしている…)などなど、それこそ日本全国皆自殺(いや、他殺だな)的状況がずっと続いている。

もちろん内部被爆、低線量被爆の恐ろしさは、残念ながら今後徐々に判明していくのを待つしかない。でも、この「単一民族幻想」がまだ生きる日本におけるこの状況は、Mbembe(ンベンベとカタカナでは書くのかしら?)のネクロポリティクス論によるフーコーへの反論すら、当てはまらない状況になりつつある。

それとも、このネオリベ、キャピタリスト、ネオコロニアルな世界では、政府レベルで隠蔽が行われるような機密情報を手に入れられる位置にいる人間以外は全て、「死んでよし」、あるいはまさに、"always dying" なポピュレーションなのだろうか。

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