内蒙古出身という12歳の少年は、美しい真っ白の民族衣装を身につけ、それこそアシタカのような「曇りなきまなこ」で、聴衆を見つめている。あの歳で両親を失っているという彼の生い立ちも手伝ってか、彼が歌う物悲しげなモンゴルの民謡に心を揺さぶられた。
残念ながら、僕には彼の歌う曲の歌詞は分からない。でも、彼の澄んだ声と瞳で、僕の目の前にモンゴルの大草原が広がっていくようだった。僕が幼い時に訪れた内蒙古の美しい大草原とそこで出会った人々のイメージが、モンゴルの光や馬、雲のイメージがすーっと心に広がり、気づいたら涙が出ていた。
でも、ショーの回を追う毎に、彼のパフォーマンスはどんどん劇化され、バックの音楽も周りのダンサーたちも大げさになっていく。彼をconsumeしようとする大人の意志がどんどん明確に見えていくようで、とても悲しい気持ちになった。
もちろん、彼には歌手として成功して欲しいし、これからも不自由なく歌を楽しみ、多くの人に彼の美しい声を届けて欲しい。でも、何だろう、彼のファイナルステージを見た時に感じた悲しみは。この高度資本主義社会と消費社文化の中では、まるで全てのものが「消費」と「金銭的価値」にすり替えられていくような。
彼の美しい歌に値段など付けられないことに、異論のある人はいないと思う。でも、彼にも値札が付けられ、プロデューサーたちが値踏みをし、そして彼の歌、彼の美しい容姿、モンゴル、あるいは遊牧民というエキゾチックさ、両親を失ったという生い立ちが商品化され、値段がつけられ、売られていく…。母のために歌ったという、彼の最初のステージの素晴らしさは、そんな現代社会の薄っぺらさをこえた、もっと深いところからきている筈なのに、あっという間に私たちはそれを失ってしまう。
僕らの文明の薄っぺらさは、破壊された自然と同様に、もう後戻りの出来ないところまできているのだろうか。
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